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阿蘇大橋 数鹿流(すがる)崩れ 現場見学 編

タヌキ猫です。

阿蘇くまもと空港 探訪記
03 阿蘇大橋 数鹿流(すがる)崩れ 現場見学 (1日目) 編
をお送りします。

*撮影日 2023年06月18日
*一部撮影した順番と異なります。


今回 レンタカーを借りてでも訪れたかったのは
熊本地震の折 大規模な土砂崩れが発生しまして
阿蘇大橋を崩落させた現場をしっかりと見ておきたい
と思ってのことでした。

一部 衝撃を受ける写真もあろうかと思いますが
熊本地震における被災した状況をご覧いただきまして
記憶にとどめて頂きたく思います。

それでは 続きをご覧ください。

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駐車場が綺麗に整備されており 2カ所ありました。


(写真は 2022年05月16日 訪問時の 新阿蘇大橋です)
前回このエリアを訪れた時は 新阿蘇大橋を見学しました。

(その時の模様はこちら ↓ )
新阿蘇大橋 見学 編

山の上から土砂崩れ災害が発生したのが
お分かり頂けるかと思います。


駐車場からみても、その規模の大きさを感じるところでした。


説明板が設置されているようですね


数鹿流(すがる)崩れ 発生時の説明板

大規模山腹崩壊 ということで文字に起こします。

かつてこの場所は 国道325号線と国道57号線が阿蘇大橋によって交わる
熊本市街と南阿蘇村をつなぐ交通の要所となっていました。
しかし 2016年4月16日の熊本地震(本震)により、山頂付近から
大規模な斜面崩壊が発生し、国道57号や豊肥本線を飲み込み
阿蘇大橋も崩壊してしまいました。

この時 国道57号線を通行していた1名の尊い命が犠牲となっています。
その後、最先端の無人化施工技術を用いた懸命の工事を経て
およそ4年半の歳月をかけて斜面、国道、鉄道の復旧が完了

この大崩れは、険しい自然と、それに対する人々の挑戦の歴史
を後世に語り継ぐ遺構として、この地に古くから伝わる名から
数鹿流崩れ と命名されました。


工事完成を記念しての碑が立っていました。


今、こうしてみても いかに大規模な山腹崩壊
が発生したかが分かるかと思います。


阿蘇大橋に関する説明板もありましたので
文字に起こしてみたいと思います。

2016年4月16日 1時25分 熊本地震本震の発生によって起きた
強い地震動と山腹の大崩壊により、阿蘇大橋は橋台を残して
立野峡谷へ落橋しました。今も残る橋桁の一部は、偶然にも
立野峡谷中腹の岩盤に安定する形で引っ掛かったものです。

阿蘇大橋は、村にとって重要な基幹道路で、国道57号から分岐し
南阿蘇村中心部・高森町に至る国道325号の一部として1967年4月に着工、
1970年12月に完成しました。橋長は205.96m、橋幅は8m、
黒川の谷底からは76mの高さにあり、総工費は当時の金額で
3億1,300万円でした。


震災前と震災直後の写真が掲示されていました。


対岸はほぼ震災時のままになっているように思えます。


震災遺構 として保存されるそうですが
やはり 初めて実際に見ることとなりましたが
その衝撃の大きさが感じられるかと思います。


熊本地震発災の折は この橋を通りかかった大学生が
クルマごと 大規模山腹崩壊によって 阿蘇大橋と運命を共にしたわけですが
自衛隊が捜索を打ち切る中、お母様が懸命に息子さんを探されていた
印象が強く この場に改めて立って 手を合わさせて頂きました。


今回、阿蘇大橋崩落現場 ということで
ブログをご覧のみなさまにおかれましては
衝撃を強く感じられた方もいらっしゃることと思います。

ただ、風化させてしまうのではなく
こうして記憶にとどめて頂きたいと思いまして
今回 記事にさせて頂きました。


対岸には 震災からそのままにされている箇所が
他にもあるようですね。

次回は 昨年の熊本旅行の際に立ち入れなかった
阿蘇くじゅう国立公園 / 中岳第一火口を見学したいと思います。

どうぞ更新をお楽しみに
タヌキ猫でした。

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