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日本航空123便 墜落事故から30年

      2016/08/23

タヌキ猫です。今日08月12日は何の日かご存じでしょうか?
30年前の今日、1985年(昭和60年)08月12日
東京(羽田)発 大阪(伊丹)行き 日本航空123便 が
 (B747-SR100(シップナンバーJA8119)
群馬県上野村にあります高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根)」
に墜落した事故の日です。
タヌキ猫のブログでは「旅行ブログ」として、海外旅行記では
行ったつもりになれるように、旅行記を展開しておりまして、
ここ数年は、航空機事故についての記事は一切書かないことに
していました。
飛行機が好きなタヌキ猫ですから、とりわけ「JAL」について
多く取り上げてきました。
今年は、123便墜落事故から30年という節目になりますので、
「空の安全」を願う気持ちから、書かせて頂ければなと思います。

1985年08月12日 日本航空123便は乗客509名・乗員15名の
524名を乗せて、羽田から伊丹へ向けて離陸しました。
1985年は、東京ディズニーランド開園3年目にして、
つくば科学万博が開催された年でもあり、当該便にも、

夏休みということもあり、多くのお子様連れのお客様が搭乗
していたそうです。
伊豆半島に差し掛かろうとした時に、突然の衝撃音と共に
垂直尾翼の60%近くが吹き飛ぶ事態となり、操縦不能に陥り
32分、飛行を続けるものの、御巣鷹の尾根に墜落するに
至った航空機事故です。
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この日本航空123便墜落事故により520名もの尊い命が奪われ
生存したのは、たったの4名のみとなったそうです。
30年を経た2015年08月12日現在でも、
単独機による航空機事故において、死亡者数世界最多と
なっています。
タヌキ猫の、拙い文章により、「思い」が伝わるかどうか
心配ではありますが、決してこの航空事故を風化させることなく
後世にも引き継いでもらって、
このような航空機事故が無いように祈ると共に、
「空の安全」を怠ることなく続けることの
戒めとして、書いてみたいと思います。
それでは、続きからご覧ください。


日本航空123便墜落事故から30年を経て
日本航空本体に勤務する社員約11,000人のうち、
実に9割が事故後に入社ということで、当時の状況を目の当たり
にしてきた人は、ほとんどいません。
タヌキ猫は、既に生まれていましたが、幼かったこともあり、
当時の記憶としては残っていません。
母に当時のことを聞いてみると
「なかなか飛行機が見つからなかったのよね」というのは
言っていました。
毎年、この日には、過去の映像と共に事故の様子がテレビにて
映し出されますが・・・
「J・A・L JALという文字がはっきりと見てとれます」
この墜落現場の印象がとても強く残っています。
実際に日本航空123便墜落事故とはどのようなものだったのか?
30年の節目ということもありますし、「安全」をおろそかにさせてはならない
という気持ちから、先の写真でもアップしております
JALメインテナンスセンター1内にあります
「日本航空安全啓発センター」を7月某日に見学させていただきました。
(以前の場所からこちらに移転しています)
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こちらの施設は、日本航空グループの研修施設として
社員への安全啓発を目的に利用されていますが、
研修に支障のない範囲内にて、一般の方でも見学が可能
となっています。
とかく「航空安全」に関しては、異業種からも、安全について学ぶ
施設として、多くの人が来場しています。
センター内の写真撮影は一切禁止ということでありませんが、
日本航空における旅客輸送時の死亡事故に関する案件の
パネル展示や、日本航空123便の事故機のほんの一部ですが、
展示されています。
人数は1日2回でだいたい25人くらいづつなのかな。
係の方が説明しながら、センター内を見学します。
こちらのセンター設置の経緯は、決して綺麗事ではなかった
かと思います。
時の日本航空社長の名前が刻まれていましたが、名前を見ただけで
アッ整備トラブルが続出した時だね・・・っていうのは直感しました。
日航関係者の研修で訪れたと思われる皆さんは、
書かれている安全への思いを、じっくりご覧になっていましたね。
まず、パネルにて旅客死亡事故に至ってしまった事案の
説明が行われます。
扉の向こうには、日本航空123便(B747-SR100(シップナンバーJA8119)
の垂直尾翼・後部胴体の実物が展示されており、
二度と揃うことのないバラバラになった「鶴丸」の残骸を
目の当たりにし、事故の悲惨さを30年を経た今でも
痛いほどに感じざるを得ません。
ボイスレコーダー・フライトレコーダーの実物も展示されており、
スコーク77から墜落するまでの約30分の更新記録が
フライトレコーダーでは、一覧におこして、見ることができ、
ボイスレコーダーでは、音声を再現する形にてやりとりを
聞く形となります。
日本航空123便が墜落するに至った主要因とされる
後部圧力隔壁の展示もされており、実際にボーイング社による

修理ミス箇所と判明した部分もみることができます。
このたった一つのミスがこれだけの大事故につながった
現実を重く受け止めなければなりません。
客室シートの展示もされており、とても原型をとどめておらず、
客席なのかも分からないものもありました。
30年を経ても、消えることのないあのシミは
恐らくは、乗客の方のものでしょう。
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搭乗されていた方の遺品の一部も展示されており、
墜落時刻となってしまった、18時56分で止まってしまった腕時計
墜落するまでの恐怖の時間の中で、家族にあてた遺書など
とても、平常心では、見ていられません。
しかし、これは、実際に起こってしまった航空機事故を物語る
上での、貴重な資料です。
70分という時間では、とても短かく感じました。
墜落事故から30年を経ても、520名の犠牲となられました乗員乗客
のご家族の皆様、また4名の生存者の皆様も途端の苦しみを味わい、
今なお、癒されることのない苦しみと向き合われていることと思います。
ひとたび、航空機が墜落事故を起こせば、そこは凄惨な現場となります。
センター内でも、テレビでもその多くは映されませんが、
当時の写真を見たりすると、その酷さに目をそむけたくもなります。
この123便墜落事故を契機に、航空機の油圧系統の見直しや
垂直尾翼に直接、風がいかないようにする弁の設置など
  (尾翼の中に、点検の為に、整備さんが通れる空洞があるんですね)
航空機の見直しが実施されました。
また、緊急時の救難活動の連携を強化すると共に
当時は、DNA鑑定が確立する前でしたから、最終的な身元確認
も叶わなかった方もいらっしゃると聞きます。
今でこそ、位置確認はGPSで大した誤差もなく割り出すことができますが、
当時は、まだそれだけの性能をもった機械がなく、

場所の特定に大変多くの時間を要したそうです。
この多くの犠牲を決して、無駄にすることなく
そして、記憶を風化させてはなりません。
これは他業種でも、旅客輸送を担う職業の皆さんは
同じことがいえると思います。
私事ながら、飛行機では安全運航ですが、運航の「航」が「行」と
いうことで、父が定年まで無事故で勤めあげました。
外から見れば、当たり前のことかもしれませんが、
それを支えるまわりは大変なものがありました。
とても、航空機と比べるようなことではありませんが、
些細なミスでも、このような大事故につながります。
飛行機を1機飛ばすのにも、見えないところで多くの
皆さんが支えて下さるからこそ、無事に飛び立つことが
できます。
一部に不快に思われる方がおられるのも事実でしょう。
記憶を早く、消し去りたいと思う人もいるかもしれません。
しかし、記憶の風化・緩みは事故に直結します。
今回は、航空業界に限らず、過去の大事故を教訓に
二度とこのような大惨事を招くことのないように
自分を戒める意味でも、大変、凄惨な内容ではありますが、
ブログにて書かせて頂きました。
普段、旅行ブログをやっていますので、気分を悪くされた方も
いらっしゃるかと思います。
しかし、今日の「航空安全」はこうした犠牲の上に成り立っている
ことも忘れないでほしいと思います。
墜落現場となった通称「御巣鷹の尾根」では、毎年
慰霊登山が実施されています。慰霊の園では、新たに
展示棟をキレイにしまして、記憶の風化をさせないように
当時の写真と共に、事故の悲惨さを伝えています。
上手く、タヌキ猫の思いが書ききれたか、また拙い文章にて
思いが伝わったかは不安ですが、今回は30年の月日を経た
日本航空123便墜落事故について、タヌキ猫なりに
書かせて頂きました。

日本航空123便墜落事故によって、犠牲となられました
520名の皆様のご冥福を改めてお祈り申し上げると共に、
4名の生存されました皆様のご発展を祈念いたします。

二度と、このような大惨事を起こすことが無いように
強く、強く、強く願って・・・。

タヌキ猫でした。

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